懐かしい言葉、愛人

「愛人」という言葉から私がすぐに連想するのは、フランス人作家マルグリット・デュラスの小説、その名もズバリ『愛人(ラ・マン)』です。フランス領のインドシナ(現在のベトナム)で、15歳のフランス人少女が大金持ちの中国人青年の愛人になるという衝撃的なストーリーで、しかも作者デュラスの自伝的小説。1984年に本国で出版され、1992年にフランス・イギリス合作で映画化され、日本でも大ヒットしました。
主人公の少女は母子家庭で貧しく、お金と快楽のためと割り切って、本来蔑ずんでいる中国人と関係を持つのですが、白人女性が有色人種の愛人となるのは今考えてもショッキングです。ストーリーは別として、「愛人」という言葉には、お金と快楽が付き物、というのは説得力があります。バブル全盛期には何の違和感もなかく使えていた愛人という言葉を、なんとなく懐かしい言葉(言い換えると死語に近い)と感じてしまうのは、長引く不景気で、愛人どころではない世相を反映している気がします。このご時世、「愛人」などという贅沢品を所有しているのは、おそらく政界・財界のお偉方とか、一部のお金持ちだけでしょう。そういえば「愛人バンク」なんていう、本当に存在するのかないのかわかんないものもあったなぁ。
愛人という言葉に代わって現在使われているのは「彼女」という言葉でしょうか。妻帯しているけど彼女がいる、なんてね。「彼女」という言葉からは、お金(=贅沢)も快楽もあまり感じられません。何だか小さくまとまった感じ。それはそれでよいのかもしれませんが(道徳的にはよくないけど)、だからこそ、「愛人」という言葉にはレトロ感も漂うのでした。