私はこうして愛人を探しました

結婚して、最初の3年間は妻と毎日のようにセックスをしていましたが、子供も産まれ、生活費がかかり始める頃から、共働きになり、回数も減ってきました。
最初の頃は我慢してましたが、だんだん寂しくなり、互いに口もきかなくなりました。
スマホで出会い系アプリをダウンロードして愛人探しすることにしました。
サクラばかりで最初は全然会えませんでしたが、そのうち、写真つきでも鏡に写したものとか、書き込みも短めのものはサクラではなくリアルとだと気づきました。
私の使ったアプリはGPS機能がついていたのですが、登録して1週間後にある30代の既婚女性から「旦那が相手にしてくれない」と一言書き込みがありました。
「こちらも同じだよ」「家近いみたいだけど会える?」「パートし土日は子供いるから、平日のパートのない日がいいなぁ」などのやり取りをして、彼女の最寄り駅で待ち合わせしました。
その際、互いの写メをアプリで交換し、当日の服装も教えてあったので見つけやすかったです。
少しポッチャリしてましたが、色白で好みのタイプでした。
いきなりホテルとはいかないので、ファミリーレストランでお互いの話をしました。
「結婚して太り始めたら旦那が相手にしてくれなくなった」と悩みを打ち明けられました。
初日は互いの連絡先を交換するだけにしました。
次に会ったのはちょうどクリスマスシーズンで互いに手をつなぎながら歩きました。男女の関係になるには時間はかからなかったです。

愛人になる女性の特徴を考察してみた

愛人になりえる女性ってどんな人だろうと考えた時、私は結構しっかり者ではないかと思いました。だって、相手に家庭があるのにそれに介入せず、秘密を誰にも漏らさないんですよね?私だったら恋人ができたら嬉しくて友達などに言いたくなりますが、それをあまりしてはいけない、公にしてはいけない立場だから秘密を大事にできるお喋りじゃない女性だと思うのです。だから時に寡黙で、ある所でしっかり線引きをしている、つまりしっかり者で寡黙で割りきれる人ということになります。
これって総合するといかにも遊んでいない真面目そうな人じゃないですか?もちろん例外もあるでしょうけれど、冷静に考えるとこんな人物像が浮かび上がりました。男性側も、口の軽い女性を愛人にはしたくないでしょうから、愛人気質というか、愛人に向いているのは周りが口をそろえて「意外」という人なのかもしれません。
また、愛人になる人は相手に余裕を求めているのではとも思います。年上男性が年下女性を愛人にすることが多いのは、女性の精神年齢が高いという意外にも、相手に余裕を見いだしているからではないでしょうか。金銭面的にも家庭を築くくらいあるということですし、愛人を作るくらいの心の余裕もあるということです。何かにいっぱいいっぱいの男性ってちょっと関わりづらいと思うので、そのあたり、醸し出す余裕は惹かれてしまう要因なのかもしれません。言い方を変えれば、男性陣は余裕を出せば女性にモテるということですね。

大学生の女性が愛人を作ることのメリット

愛人を作りたいと思っている人たちは多くいると思うのですが、特に女性側が愛人となることのメリットというのがあると思います。
それは大人の男性と、歳のやや離れた男性と接する機会が増えるという点に見出せるのです。
そういった男性と触れ合う機会が増えると、歳の離れた男性と普段から会話する機会が増えますけど、実はそこが大きいのです。
愛人というのは、同年代ではなくて、やや年上の男性と付き合うケースが多いと思うのですが、それと似たような場面が就職活動とかでも状況としてはあると思います。
面接官を務める人の中には、普段はほとんど話さないような歳が離れた男性というケースが多々あります。
そういった人に対して、物怖じしないで話せるか?どうかも合否に大きくかかわってきます。
歳が離れた男性と会話する機会を経験を事前にしておくと、慣れておくと、就職活動での面接の結果も全然違うものになるかもしれません。
だから、大学生とかの年代の人でも愛人になる女性はいると思うのですが、その年代の人たちが愛人となるメリットは実はそういうところにもあるということになります。
就職活動をする気があって、そこでいい結果を出したいと思うならば、やっぱり面接官慣れというのも重要かもしれません。
ただ、面接官に慣れるというよりは、面接官を務めるような年代の男性に慣れておく、物怖じしないで会話できる力を身に付けておく、ということを念頭に置いておくと良いでしょう。

懐かしい言葉、愛人

「愛人」という言葉から私がすぐに連想するのは、フランス人作家マルグリット・デュラスの小説、その名もズバリ『愛人(ラ・マン)』です。フランス領のインドシナ(現在のベトナム)で、15歳のフランス人少女が大金持ちの中国人青年の愛人になるという衝撃的なストーリーで、しかも作者デュラスの自伝的小説。1984年に本国で出版され、1992年にフランス・イギリス合作で映画化され、日本でも大ヒットしました。
主人公の少女は母子家庭で貧しく、お金と快楽のためと割り切って、本来蔑ずんでいる中国人と関係を持つのですが、白人女性が有色人種の愛人となるのは今考えてもショッキングです。ストーリーは別として、「愛人」という言葉には、お金と快楽が付き物、というのは説得力があります。バブル全盛期には何の違和感もなかく使えていた愛人という言葉を、なんとなく懐かしい言葉(言い換えると死語に近い)と感じてしまうのは、長引く不景気で、愛人どころではない世相を反映している気がします。このご時世、「愛人」などという贅沢品を所有しているのは、おそらく政界・財界のお偉方とか、一部のお金持ちだけでしょう。そういえば「愛人バンク」なんていう、本当に存在するのかないのかわかんないものもあったなぁ。
愛人という言葉に代わって現在使われているのは「彼女」という言葉でしょうか。妻帯しているけど彼女がいる、なんてね。「彼女」という言葉からは、お金(=贅沢)も快楽もあまり感じられません。何だか小さくまとまった感じ。それはそれでよいのかもしれませんが(道徳的にはよくないけど)、だからこそ、「愛人」という言葉にはレトロ感も漂うのでした。